オンラインで大富豪やりながら、ビデオチャット

今から、もう、20年ほど前のことだろうか。

どこかのプロバイダのポータルサイトにあったオンライン大富豪に姉と二人でハマって何度も対戦していたのは。

オセロとかバックギャモンもやってたなぁ。

対戦部屋(?)を作成して、そこに2人が入ると鍵かけて知らない人は入って来れないようにしたりして。うんうん、あれは、もう20年も前のこと。

たまに他人ともやってた気もするけど、殆どは姉と二人でやってたような…。でも、どうやって、ゲームサイトで落ち合うように連絡取っていたのかは思い出せないんだなー。ケータイメールでやり取りしてたのか?

ICQとかチャットアプリは使ってなかったと思う。そもそも、ネットに常時接続じゃなかったしね。笑

ピーヒャラヒャラ…と回線への接続音が懐かしい。

 

で、何を突然、オンライン大富豪を思い出したかと言うと。

いま、外出ができなくなってしまって、オンライン飲み会が急激に流行り始めたりしているけれど。まぁ、飲むのも楽しいんだけど。オフラインでボードゲームやらカードゲームをやってるような延長で、オンラインゲームが楽しめたら良いのにな!と思って。

 

で、オンラインの大富豪をやりながら、skypeでもzoomでもFBメッセンジャーでもLINEでも良いんだけど、ビデオチャットで繋いで、わーきゃー言うの楽しそうだと思いません?まぁ、映像はいらんのかな、、、音声だけでも良いのかもしれない。

PCの画面の向こうには大富豪の場があって、スマホハンズフリー設定にしてあれこれ会話を弾ませるわけ。想像しただけで、めっちゃ楽しそうだと思うんだけどー。

 

ででで、昔やったゲームサイトがどれだったか探してみるんだけど、うーん、、、古典的なトランプゲームのサイトって、もう、やってないのかしら。

RPGとかじゃないのよ、わたしがやりたいのはーーー!!!

 

大富豪でいいの。

七並べとか。

セブンブリッジでも。

ベーシックなトランプゲーム。

ゲーム自体はアナログ風でよくて、音声機能は、既存のビデオチャットアプリで補完。間違いなく面白いと思ってる。

 

オンライン飲み会の流行の先には、オンラインゲーム会が当たると思うな。

だって、飲み会って、段々話すネタもなくなってつまらなくなりそうじゃない?

なーーーーーんて。

結局はテキストでやり取りしたらええやん、みたいな。

そんなことないかな。

 

ゲームは、テキストでチャットするよりも音声でやり取りした方が断然はかどる。

20年前は、通信料の問題と、あとはハンズフリーでやり取りする機能が簡単じゃなかったんだよなー。

デスクトップPCにマイクセットしてた様子を思い出したけども!!!

 

いやぁ、20年前って、かなり昔の話ですにゃ。

うちで踊ろう

星野源さんの、何とも素敵な提案。
SNSには、どんどんと面白いコラボが生まれていて、みていて飽きない。

有名人のものも、そうでないものも。

 

うちで踊ろう。

何がこんなに響くんだろうな。

源さんの声が、とにかく、よい。

やさしくって、なんだか染み入る感じ。

ちょっとギスギスして、不安が渦巻く世界に、ほわっと癒される。

音楽がよい。わかりやすい。一度聞いたら、すぐに口ずさめる。

シンプルな旋律だからこそ、色んなアレンジが乗ったときの感動が、また、すごい。

そして、歌詞がとっても、よい。

 

たまに重なりあうような 僕ら

扉閉じれば 明日が生まれるなら

遊ぼう 一緒に

うちで踊ろう ひとり踊ろう

変わらぬ鼓動 弾ませろよ

生きて踊ろう

僕らそれぞれの場所で

重なりあうよ

うちで歌おう 悲しみの向こう

全ての歌で 手を繋ごう

生きてまた会おう

僕らそれぞれの場所で

重なり合えそうだ

 

歌詞がなんとも深い。

 

うちで踊ろう

Dancing on the inside

 

ただ、物理的に家にこもろうってことじゃなくて、ね。

心の奥底にあるもの、に向かおう、と。

今だからこそ、出来ること。

世界中のあらゆる人が、うちで踊ることで、きらりと光る新しい世界が開けますように。

 

経済の正体

ポストコロナだとか、アフターコロナ、だとか、ウィズコロナだとか。
ネットではあれこれ表現もありますが。

この、コロナ一大騒動がおさまったら、どんな世界に変わるのだろうか。

そもそも、コロナ一大騒動は、おさまるのか、このままザワザワしたままが続くのか…。ワクチン開発されたらおさまるのかな。でも、新しいウィルスが出現するかもしれないしな。

 

世界中が外出規制をしていたり、事業の停止をしていたり、で、工場の稼働が止まっていたりして。大気汚染まみれの中国やインドの空気がとってもクリーンだというニュースが広がっていたりする。

本当かしら、と、思って、大気汚染指数がわかるサイトをみてみたけれど、相変わらず相対的には指数は高くて、イマイチよく分からなかった…(´・ω・`)

 

世界中で、そして日本でも、飲食店が営業自粛をすることになってて大打撃。みんな外食せずに家にひきこもり。あ、テイクアウトやデリバリーはOKという国も多いみたいで、完全にお店閉めてはないみたいなんだけど。家に引きこもったところで、お腹がすくのは変わらないし、食事をする人数だって変わらないと思うし、食事をする回数だって変わらないと思うんだけどな。なのに、なのに、各地で食材が余って大ピンチだというニュースが世間を駆け巡る。

スーパーでは、生鮮食品が売れ残り、カップラーメンやパスタがどんどんと売れていくのはどういうことなんだろう。もともと、食料廃棄率の高さは問題になっていたと思うんだけど、それに拍車を掛けて、見るに見かねる光景が広がっているように思う。食料自給率の低さは、本当なんだろうか、ということも含めて、なんだか、なぁ、、、、、と考えさせられる。

 

今回の大騒動によって、みんなが”食”について考え、もっと均衡がとれた世界になるとよいんだけどな。。。今回、可視化されている大量に廃棄される食糧は、この騒動の前から、同じように廃棄されていたに違いない。生産者の手元を離れ、加工業者の手元を離れ、卸売の手元を離れ、小売店や飲食店や一般家庭にまで届いていたとしても、全てが胃袋になんて、元々入っていなかったものなのだ。
確かに”経済”は回っていたかもしれないけれど、お金を循環させるために、その食糧は果たして必要な媒介品だったのだろうか。。。どうやったら別の形で経済は回るのだろうか。なんだか、ものすごくむなしくなるよねぇ。お金ってなんなんだろうなぁ。沢山のモノに囲まれた部屋の中から、どうしようもないことを呟いてみる。

なんとなく、書いてみる

とうとう緊急事態宣言が発令された。

国民の危機感を煽るためには必要な措置ということか。

危機感がちゃんと伝わって、1人1人の行動が変わることをとにかく切望。

そして、今回の事態で、休業を余儀なくされている人達、積極的に自粛要請に応えている人達、そして、むしろ休んでいる暇などなく目まぐるしい時間を過ごしているであろう医療関係者や政策に関わる方々が報われることを祈るしかない。

 

1日のほとんどを家で過ごし、外出も数えるほどしかしてなくて、電車に乗ったのも何回か…という生活をして、1か月ちょっと。最近、やっとこさ精神的なイライラとかソワソワする感じはなくなったので、脳はやっとこさ慣れたということでしょう。でも、家時間を適切に充実させて過ごせてるとは言い難く、ひきこもり生活は、なんとなーく、フワフワ仮の生活として続いている。

 

ひきこもり生活とは直接関係はないんだけれど、せっかく家時間も増えたことだしと思って書き始めたブログ。とにかく1日30分、1000字を目標に毎日書き続けるぞ!と思ったけれど、そんな風に数値化された目標を立てて動き出したって、なんか全然ワクワクしないし、動力にならないんだよな、、、と思って、昨日一昨日と、手が止まってしまった。

 

1日30分、1000字を書くのが目的じゃないんだよな。何を達成するために、私は書こうと、書きたいと、思っているんだろうか。その手段としての1日30分、1000字なんだよなぁ。

 

ちなみにいま。

毎日、必ず自炊するぞ!とか、キッチンに立つぞ!とか、そんな目標を立てているわけではないけれど、結果的には、ほぼ毎日自分で何かを作って、食している。大抵2食分くらい出来ちゃうので、毎食作ってるわけでもなく、冷蔵庫開けてチンするだけのこともあるけれど。

習慣化されていると言えばそれまでなんだけど、じゃあ、どうやって習慣化されたんだろう。元々料理は嫌いではなかったけれど、ほとんど外食だらけで家でゆっくり作って食べることなんてなかったのに。何をきっかけに、私の行動は変わったんだろうなぁ。身体が美味しいモノを食べたい!って、反応してるからかなぁ。スーパーに行ったら、美味しそうな食材が目につくからかなぁ。

 

なんとなく、なんとなく、やってることに、どんなきっかけや背景があるのかなぁー、なんて、自分のことながら、ちょっと、気になってきた。こうやって、夜中に目が覚めて、ごそごそとPCに向かってるのも、なんでかなぁ、とか。

「新型コロナウィルスの波は、目の前まできています。命が関わっています。家を出ないでください。」と、ずっとテレビやラジオで言ってくれたらいいのに。

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外出を自粛するようにメッセージが出てきたのは、2月の末頃からだったと思う。

政府からの要請に対して、いくつかの企業が在宅勤務の体制を早々にニュースリリースし、朝の通勤ラッシュが多少和らいだような記憶がある。

段々とそのメッセージに具体性が出てきて、平日夜の外出と休日の外出自粛要請が出されたのは3月の末。

それでも全く危機感が伝わっていないのか、外出する人の数は大きく減らず、感染者数は増え続けている。そして、感染経路不明の人が多数となってきた。

 

4月に入ったら、外出自粛を求める語気がさらに強くなってきた。
命が関わっています。なんとかこの感染拡大を抑えたい。お一人お一人の行動が感染拡大を防止します。都民の皆様は本当に申し訳ありませんが、不要不急の外出をお控えいただくよう、お願いいたします。」と。
そう、命に関わっているのです。ひとまず、なんとしてでも感染を食い止めるべき。補償の問題だとか、経済がどうとか…色々あるにせよ、何しろ感染源となっているところの出入りはやめるべきだし、感染に繋がるような行動は、1人1人が自覚をもって控えるしかないのだ。

 

「命が関わっています。」というコメントを聞いて、だからこそ、もっと響くように、伝わるように工夫ができないものかと、なんとももどかしい気持ちに。

この状況って、津波が来ている時に、必死でアナウンサーが視聴者に呼び掛けてくれている状況と同じなんじゃないだろうか。津波が来るって時に、「いまお客さんの相手してるからそれどころじゃない…とか、ここで逃げたら国はいくら補償してくれるのか?」とか、そんなことグダグダ考えずに、ただただ高台に向かって走るしかないんだと思う。津波を見てから走り出しては間に合わない。

自分の目では確かめることはできないけれど、「津波がきています!高台に逃げてください!命を守る行動をお願いします。」というアナウンサーの言葉を信じて、ただただ走って逃げるしかない。高台まで走り切ったあと、「あぁ、間に合ってよかったね、命が助かってよかったね、これからの生活どうしようか」という会話がやっと生まれるものだと思う。

 

時間軸が、津波に比べてちょっと余裕があって、新型コロナウィルスをこの目で確かめることは誰にもできなくて、誰もが命を落とすとも限らない事態ではあるけれど、とにかく、「社会全体で感染を抑える(新型コロナウィルスの津波に社会がのまれないようにする)」という風に考えたら、四の五の言わずに家に籠れる人が増えるんじゃないだろうか。

 

テレビ番組にずっとテロップ出しててくれたらいいのに。

ラジオで呼びかけてくれたらいいのに。

「新型コロナウィルスの波は、目の前まできています。命が関わっています。家を出ないでください。」と。

どれだけ鈍感な人にも届くように、大げさすぎるくらいのメッセージで良いんだと思う。

 

自由な国に生まれて良かった。そして、自由な国の成り立ちについて考える。

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ここ数日のネットの話題は、「即ロックダウンすべき」「早く”緊急事態宣言”を出すべきだ」「NYでは…」「ロンドンでは...」「シンガポールでは...」といったこの危機的状況下で日本がとるべき行動へのリクエストとその根拠(?)となる他国との比較…。

 

政府が出している広報に目を向け、各国の友人から届く現地の様子やニュースをみていると、つくづく自由な国に生まれてよかったなぁ、と感謝している。

どうやら、日本は、国からなんら命令も強制もされない仕組みになっている。国民ひとり1人が、責任をもって物事を判断し、行動をすることで成り立っている極めて自由が保障された国なのだ。

突然の政府からの命令によって生活を脅かされる心配は何もなく、安心して生きていけることに感謝の気持ちでいっぱいになってきた。

 

他国は、どうか。

外出禁止令が出され、警官が街をウロウロし、違反すれば罰金が待っている。今回、外出禁止令程度ならまだしも、他のどんなことでも政府の一言で如何様にもなると考えるとゾッとする。

 

日本は、残念ながら(?)緊急事態宣言が出たところで”外出自粛要請”以上のものは政府から出てこない。つまり、いま、各都道府県知事が必至で訴えている”外出自粛要請”が、最大限のメッセージであり、他国でいうところの”外出禁止令”と同等なのである。既に。

 

既に、フルマックスのメッセージが出ているのに、それを理解せずに緊急事態宣言を求めている人達は、どういった思考回路になっているんだろうか。緊急事態宣言がなんたるものかを知らずに騒いでいるだけ???そんなに政府に支配されたいの???とどうにも理解しがたい状況。

 

そして、メディアも”外出自粛要請”が”外出禁止”と同等の意味をもつこと、自粛要請以上のことが日本では出来ないことをもっとアナウンスしたらよいのに、なぜ、黙っているのか…。

 

ここから先は、なぜ日本はこんなに自由な国なんだろうか、と私なりに考えたこと。もしかしたら、検討違いなこともあるかもしれないのでご容赦を。
政府の指揮命令が弱い理由として考えられるのは、その昔、政府の権限が強すぎて暴走を止められなかったことに起因するのではないか。国民の誰もが望んでいない戦争に巻き込まれ、徴兵や空襲で命を落とすことになったのは、当時の政府の在り方に問題があったからだろう。同じ過ちを繰り返さないために、(どういった経緯で、誰の考えが反映されてかは調べていないが)現状の、強制力を持った指示命令が出せない仕組みになったということだと思う。

 

いま、自由な国で暮らせていることを幸せだと思う。
そして、それは、多大なる犠牲を払った過去の間違いのうえで成立していること。

そのことも自覚したうえで、今取るべき行動を一人一人がしっかりやっていくより他はないんじゃないかな。
政府の一声で、生活が一変するような国には、安心して住めないな。。。

オンライン飲み会って楽しいの?

感染者数はどんどん上がっていく一方で、ここ最近、有名人の感染報告もメディアでよく見かけるようになってきた。もはや、誰が感染していてもおかしくない状況だと個人的には思っていて。この一か月、在宅勤務も続けていて、家にいる時間が圧倒的に長いけれど、それでも何度かは電車に乗って出かけたし、居酒屋にも行ったので、自分も感染していてもおかしくないよな、とかなり慎重な気分になっている。


誰にも会わない時間が続くと、そりゃまぁ、気も滅入ってくるわけでして。このまま孤独死したら嫌だ、とか、こんな時こそ頼りになる人が近くにいてくれたら良いのにな、とか。そんな気持ちもあいまって、オンライン飲み会でもしようよ!と友人に投げ掛けてみた。独身男子紹介してよ、と。

 

で、返ってきた返信。
興味をもってる人は何人かいるけど、直接会っての飲み会じゃないなら気が乗らない、と。初対面でオンラインで出会っても、その先に続く感じがしないとのこと。そもそも、オンライン飲み会って楽しいの?、、、と。

 

いやいやいやいや、ツッコミどころ満載過ぎてどこからどうしたものか。

婚活アプリの使用者数も沢山いて、アプリをきっかけに結婚する人たちもいる中で、オンラインでの出会いがその先に続く気がしないって、そんなわけないでしょう。むしろ、オンラインで意気投合できるなら、会って直接話してみたい(触れ合いたい)!という気持ちに繋がっていくんじゃないのかなぁ。

あなたのご友人様、飲み会で次に繋がる出会いを求めてるのではなくて、単にその場で触れ合える人を求めてるんじゃないのかなぁ、その先なんて求めてないから体よく断られてるだけよ…と心の中では思いながら、そんなことにも気付かずにまんま文章を転送してくるセンスに呆れて、何も返せず。笑

 

で、オンライン飲み会って楽しいの?って、のに対しては、なんと返したらよいのやら。リアルに会って、グラスを合わせて、空間と料理を一緒に楽しんで…というのは勿論できないので、そういった目的の”飲み会”の代替には決してならないとは思う。でも、この不安が続く中、そして暇をもてあそぶ中、誰かと繋がってたいとか、くだらない話をしたいという気持ちは充分に満たしてくれるんじゃないかなぁ、と思うわけで。遠距離恋愛で、なかなか会えない代わりに長電話するのは昔からあるわけで…。

 

音声だけじゃなくて、テキストだけじゃなくて、なんと映像付きでそれも複数人で同時に繋がってたわいもない話ができるこの時代。オンライン飲み会が本当に楽しいかどうかなんて、それこそやってみないと分からないけれど、それを楽しもうとする気持ちがない時点で、あぁ、私的にはなんか違うな、ということだけなんだけどね。

 

話するのが苦手な人だって、新しい技術に興味ない人だって、それはそれで自由。オンライン飲み会を楽しめる人、どこかにいないかなーーー。

 

ってか、写真とテキストベースの婚活・出会い系アプリってあるけれど、動画ベースって未だないよねぇ?動画で自己紹介して、マッチングしたらビデオチャットでやりとりして…みたいなサービスが主流になる日も、近いのか、しら。