書きたい衝動、書けないもどかしさ

随分と昔から、日記を書こうと思ってノートを用意してみたものの、書けない、ということが続いていた。最も古い記憶だと、小学生の時、かなぁ。確か、ガチャガチャでゲットした光GENJIの小さい小さいノート。書ける文字数なんて、ほんとたかがしれてるんだけど、そこにすら、書くことが何も思い浮かばなかったことを思い出す。「バカ」とか「XXX嫌い」とか、しょうもないネガティブな一言が書きなぐられていた。

中学校や高校で日記を書こうとした形跡は、あったような、なかったような…。高校の時、ミスドのオマケでもらった手帳に一言二言書き記したくらいかな。先日、開かずの箱の整理をしていたら、出てきた。1995年1月17日、阪神淡路大震災の日の出来事も書いてあったけれど、「揺れてビックリした」くらいのことしか書いてなくて、自分の鈍さに驚いた。いま、あの日のことを思い出すと、もう少し具体的に書けるような気もする。でも、それって、未来の私が当時を振り返ることで、何が特別なことだったのかが客観的に把握できているからなような気がする。編集力が付いた、とでもいうのか。その場で何かを体験している時って、どこを切り取ったら良いのか、イマイチよくわからない、の、かも。震災当日の出来事としてよく覚えているのは、ぐらっぐらに大きく揺れたけれど、その日はちょうど大学受験の為の補講が始まる日で、いつもより1時間くらい早く学校に向かった。最寄り駅のダイヤは大混乱。それでも、しばらく待つと電車には乗れたと思う。そして、生徒は全員集まらなかったけれど、補講もあった記憶。

その日一日、余震があるたびに、教室はザワザワした。昼休み、下校時、、、と、先生が被害の大きさ、被害者数を教えてくれるんだけど、まだ百人単位だったように思う。神戸の街が燃え盛っていることも、帰宅して、ニュースを見るまでよくわかっていなかった。日が落ちてからのニュース映像は、真っ暗な中で燃え盛る街を映し出していたのを、今になって思い出す。当時大学生だった姉は、家のテレビの前でホットカーペットに転がって一日過ごしたと言っていて、余震を全身で受け止める形となってメチャクチャ怖かったと言っていたことも思い出す。そもそも、そうだ。和ダンスの上に置いてあった壺が、姉の枕元に墜落していた。最初の揺れで起き上がらずに寝たままだったら、どうなっていたかと思うとゾッとする。

いま、当時のことを思い出しても、これだけのことが書けるのに、あの日に日記に残した言葉は、「大きな地震があった」ただ、それだけ。書きたいことは色々とあるのに、どう書いたら良いのか分からない、という思いがあったのかは記憶にないが、あまりにも薄っぺらなコトバしか残っていない事実がおもしろい。

大学生になって、海外旅行の時に何かを書こうとしたり、大学ノートに就職活動中のことを書き綴った形跡が残っている。でも、それも、全く薄っぺらで、ディテールのなさに笑ってしまう。あんなに心は動いていたし、新しい景色をみていたはずなのに。社会人になってからのアレコレも、同じく。どっぷりと出来事に浸っていて、客観視するスキルがなかったのだろうか。どこをどう切り取ればいいのか、分からなかったのか。自分の感情の取り扱いに困っていたのか・・・。感情など乗せずに、ただただ、事実を羅列するだけで、よかったのに。うれしい、たのしい、かなしい、つらい、おどろいた、イライラする、そんな風に感情に名前をつけて書き綴らなくても、事実を書き連ねることで、グッと心や身体が反応する、そんなことで良いのに。

今になって、過去のあの時あの瞬間を思い出して、ツラツラと書き綴ってみたい。情景を思い出して書くことで、当時持て余していた自分自身の感情を消化したり、別の意味を持たせることも出来そうな気がする。少なくとも、長らく心の奥底にひたひたと持っている「書けない」というもどかしい思いからは解放されるに違いない。