シンクロニシティ

2021年明けた頃から、ぼんやりとココロの奥底にあったものが形になっていったり、背中を押されるような出来事や文章に出会ったり、なんだか、流れに乗ってるな、と感じることが増えてきた。

随分と前にココロの奥底に仕舞いこんでしまったものが、今になって、じわじわと顔を表す。意識的に押し込んだ記憶のあるものも、すっかり忘れてしまっていたものも、そもそも存在を認識していなかったものも、じわじわと、色んなタイミング、カタチで浮上してくる奇妙な時間。いや、じわじわ、ではなく、わーーーーーっと噴き出してきている感じかもしれない。次から次へと、目まぐるしく景色は変わっている。

いま、あらためて何を選択するのか、どんな未来をつかみ取りたいのか、有象無象に湧いてくるアレコレと対峙しながら、今度こそ、自分がワクワクする方向へ向かう。今までだって、きっと、何度もチャンスはあったのだろう。目の前をサッと同じ情報が通っていたに違いない。ただ、それに目が留まることはなかった。いや、見ようとしなかった。目を逸らしていた。見ちゃだめだと思っていた。見たけど、見なかったことにした。うーーーん、適切な表現は、どれだろうか。どれも正解ないようで、どれも不正解な。

ただ、前に進むのが怖かっただけかもしれない。一歩を踏み出す先が分からずに。真っ暗闇に飛び込む勇気が、なかった。ココロがそっちの方向に向いていることは分かっていても。ガイドのない未知の世界に歩みを進めるのは、本当に、怖い。でも、標識があったり、足元を照らすライトがあったり、遠くであっても街の灯りが見えれば、なんとか進める。手を繋いでくれる人や、背中を押してくれる人がいたら、怖さは半減。いや、むしろ、ワクワク感が増して楽しい気分ばかりになるのかもしれない。

ここ最近私に起きていること。

まだ、行先は不明瞭だけど、次の一歩につながるヒントが連続して示されているような気がしてならない。あとで振り返れば、あのピースとピースの関係性がハッキリと見える、に違いない。

まるで、2021年になるまで、自分の人生がなんでもなかったかのような書きっぷりかもしれないけれど、いや、妙な流れに乗って、思いもよらない場所に辿り着いたことは、過去だって、何度もある。その時だって、随分と楽しんでいた。行先が分からないことを除いて。

そうか。

今度こそ、波に乗りながらも、その到達地点を自分でコントロールできるようになると、今までとは全然違う境地に辿り着く、の、かもしれない。