言葉にすることで分かりやすくなる、けど、陳腐になる。

就職活動中の大学生と面接対策と称してオンライン面談。

幼い頃から最近に至るまでの様々な人となりを表すエピソードを聞きながら、「問題解決能力あるな」「リーダーシップ発揮したんだな」「創意工夫をしながら、自分なりの解決策を編み出して実行するのが得意なんだな」とかとか、脳内で変換しながら聴いていた。

つまりは、それって、「XXXXX」ってこと?

と、言い換えた言葉を発してみて、ドキッとする。なんて陳腐な纏め方をしてしまうのか、、、、、と。それと同時に、「XXXXX」ってこと?と言いたくなるような、しっかりとしたイメージを伝えるだけの言語化が出来ている彼女は、きっと、面接うまくいくとおもうよ!と、なんだか分からないけれど、太鼓判を押したくなる衝動に。

「相手の印象に残るような、インパクトあるキャッチフレーズを自己紹介で言ってみよう!」なんてメソッド?を聞いたりするけれど、そのキャッチフレーズと実際の人となりに乖離があったら元も子もない・・・。キャッチフレーズを付けることよりも、まずは、発する言葉と態度と全身全霊をもって素直に真摯にあることが、何よりも大事なことじゃないかなぁ、なんて思った次第。

分かりやすいキャッチフレーズは、受け手側が勝手にメモしてくれればしめたものだと思うんだよねー。「あぁ、この子はXXXな人だったね」と面接官の中で言語化されると、合格への一歩を踏み出すことになるんじゃないかなぁ。

それは、あざとく、自分でキャッチフレーズをつけることでもなくて、、、ってのが、難しいところ。(´・ω・`)

 

シンクロニシティ

2021年明けた頃から、ぼんやりとココロの奥底にあったものが形になっていったり、背中を押されるような出来事や文章に出会ったり、なんだか、流れに乗ってるな、と感じることが増えてきた。

随分と前にココロの奥底に仕舞いこんでしまったものが、今になって、じわじわと顔を表す。意識的に押し込んだ記憶のあるものも、すっかり忘れてしまっていたものも、そもそも存在を認識していなかったものも、じわじわと、色んなタイミング、カタチで浮上してくる奇妙な時間。いや、じわじわ、ではなく、わーーーーーっと噴き出してきている感じかもしれない。次から次へと、目まぐるしく景色は変わっている。

いま、あらためて何を選択するのか、どんな未来をつかみ取りたいのか、有象無象に湧いてくるアレコレと対峙しながら、今度こそ、自分がワクワクする方向へ向かう。今までだって、きっと、何度もチャンスはあったのだろう。目の前をサッと同じ情報が通っていたに違いない。ただ、それに目が留まることはなかった。いや、見ようとしなかった。目を逸らしていた。見ちゃだめだと思っていた。見たけど、見なかったことにした。うーーーん、適切な表現は、どれだろうか。どれも正解ないようで、どれも不正解な。

ただ、前に進むのが怖かっただけかもしれない。一歩を踏み出す先が分からずに。真っ暗闇に飛び込む勇気が、なかった。ココロがそっちの方向に向いていることは分かっていても。ガイドのない未知の世界に歩みを進めるのは、本当に、怖い。でも、標識があったり、足元を照らすライトがあったり、遠くであっても街の灯りが見えれば、なんとか進める。手を繋いでくれる人や、背中を押してくれる人がいたら、怖さは半減。いや、むしろ、ワクワク感が増して楽しい気分ばかりになるのかもしれない。

ここ最近私に起きていること。

まだ、行先は不明瞭だけど、次の一歩につながるヒントが連続して示されているような気がしてならない。あとで振り返れば、あのピースとピースの関係性がハッキリと見える、に違いない。

まるで、2021年になるまで、自分の人生がなんでもなかったかのような書きっぷりかもしれないけれど、いや、妙な流れに乗って、思いもよらない場所に辿り着いたことは、過去だって、何度もある。その時だって、随分と楽しんでいた。行先が分からないことを除いて。

そうか。

今度こそ、波に乗りながらも、その到達地点を自分でコントロールできるようになると、今までとは全然違う境地に辿り着く、の、かもしれない。

 

 

書きたい衝動、書けないもどかしさ

随分と昔から、日記を書こうと思ってノートを用意してみたものの、書けない、ということが続いていた。最も古い記憶だと、小学生の時、かなぁ。確か、ガチャガチャでゲットした光GENJIの小さい小さいノート。書ける文字数なんて、ほんとたかがしれてるんだけど、そこにすら、書くことが何も思い浮かばなかったことを思い出す。「バカ」とか「XXX嫌い」とか、しょうもないネガティブな一言が書きなぐられていた。

中学校や高校で日記を書こうとした形跡は、あったような、なかったような…。高校の時、ミスドのオマケでもらった手帳に一言二言書き記したくらいかな。先日、開かずの箱の整理をしていたら、出てきた。1995年1月17日、阪神淡路大震災の日の出来事も書いてあったけれど、「揺れてビックリした」くらいのことしか書いてなくて、自分の鈍さに驚いた。いま、あの日のことを思い出すと、もう少し具体的に書けるような気もする。でも、それって、未来の私が当時を振り返ることで、何が特別なことだったのかが客観的に把握できているからなような気がする。編集力が付いた、とでもいうのか。その場で何かを体験している時って、どこを切り取ったら良いのか、イマイチよくわからない、の、かも。震災当日の出来事としてよく覚えているのは、ぐらっぐらに大きく揺れたけれど、その日はちょうど大学受験の為の補講が始まる日で、いつもより1時間くらい早く学校に向かった。最寄り駅のダイヤは大混乱。それでも、しばらく待つと電車には乗れたと思う。そして、生徒は全員集まらなかったけれど、補講もあった記憶。

その日一日、余震があるたびに、教室はザワザワした。昼休み、下校時、、、と、先生が被害の大きさ、被害者数を教えてくれるんだけど、まだ百人単位だったように思う。神戸の街が燃え盛っていることも、帰宅して、ニュースを見るまでよくわかっていなかった。日が落ちてからのニュース映像は、真っ暗な中で燃え盛る街を映し出していたのを、今になって思い出す。当時大学生だった姉は、家のテレビの前でホットカーペットに転がって一日過ごしたと言っていて、余震を全身で受け止める形となってメチャクチャ怖かったと言っていたことも思い出す。そもそも、そうだ。和ダンスの上に置いてあった壺が、姉の枕元に墜落していた。最初の揺れで起き上がらずに寝たままだったら、どうなっていたかと思うとゾッとする。

いま、当時のことを思い出しても、これだけのことが書けるのに、あの日に日記に残した言葉は、「大きな地震があった」ただ、それだけ。書きたいことは色々とあるのに、どう書いたら良いのか分からない、という思いがあったのかは記憶にないが、あまりにも薄っぺらなコトバしか残っていない事実がおもしろい。

大学生になって、海外旅行の時に何かを書こうとしたり、大学ノートに就職活動中のことを書き綴った形跡が残っている。でも、それも、全く薄っぺらで、ディテールのなさに笑ってしまう。あんなに心は動いていたし、新しい景色をみていたはずなのに。社会人になってからのアレコレも、同じく。どっぷりと出来事に浸っていて、客観視するスキルがなかったのだろうか。どこをどう切り取ればいいのか、分からなかったのか。自分の感情の取り扱いに困っていたのか・・・。感情など乗せずに、ただただ、事実を羅列するだけで、よかったのに。うれしい、たのしい、かなしい、つらい、おどろいた、イライラする、そんな風に感情に名前をつけて書き綴らなくても、事実を書き連ねることで、グッと心や身体が反応する、そんなことで良いのに。

今になって、過去のあの時あの瞬間を思い出して、ツラツラと書き綴ってみたい。情景を思い出して書くことで、当時持て余していた自分自身の感情を消化したり、別の意味を持たせることも出来そうな気がする。少なくとも、長らく心の奥底にひたひたと持っている「書けない」というもどかしい思いからは解放されるに違いない。

 

#シスセ始動します。

書きたい欲はありながら、なかなか筆が進まない。

それは、ここ数日の課題ではなく、随分と長いこと超熟成されまくった課題。。。

 

書けない理由は、きっと色々あって、それは自分の中で消化/昇華していくしかないのだけれど、ゆるっと皆で集まって、30分集中して書く時間を設けたら、新しい世界が開けるんじゃないかな、楽しく取り組めるんじゃないかな、と思いついたのが2月初旬。田口ランディさんのクリエイティブ・ライティング講座のアドバンスクラスに参加して着想を得た。

www.pekere.com

 

ランディさんのクラスでは、ランディさんの素晴らしい講座構成&運営によって、面白いほどにスラスラと文章が書けてしまう。たった20分で。自然に書けるようになるまでのランディさんの仕掛けがそれはそれは素晴らしい。書きたい欲、書きたい脳が活性化するように映像を取り入れたり、ミニワークをしたり。参加者の特性をサクッと見抜いて、サラリ投げ掛けていただいた言葉をきっかけに、筆がグングンと進んで行ったり、ホント魔法のような時間だった。

 

で、ランディさんのような方がいてこそ、たった20分で素晴らしい文章が書けるというのはあるのだけれど、文章力を磨いていくには、とにかくアウトプットを続けていくことも大事だな、と。いや、別に文章力なんて向上しなくてもよくって、ただただ記憶にアクセスして、短時間で言葉を吐き出す作業ってなんだか快感だなと思っていて。

あと、同じテーマなのに、参加者全員が全く違うことを意図してアウトプットする面白さも、なんだか心地よくって。1つのテーマに対して、詩のような文章を書く人もいれば、創作の小説になる人もいるし、自分の体験談を思い出して綴ることもあり。

同じ時間を共有しつつも、全く違うアウトプット。全く違うんだけれど、何かしら繋がりを感じる不思議さ。そんな体験を広く共有できたら面白いな、と思ってる。

 

即興で、短編を書く。

一つのテーマに沿って。

まるで句会のような。

ジャズのセッションのような。

そんな会に相応しいタイトルって、なんだろうなーーーーー、と思ってでてきたのが、#シスセ。

 

ショート・ストーリー・セッション。

Short Story Session。

 

略して、#シスセ。

#SSSも良いんじゃない?って思ったら、既に#SSSはネット上に溢れているので使えないこと判明。#シスセって、なんだか心地よし。

はじめて聞く言葉なんだけれど、違和感のない言葉。

そう、さしすせそ、のアタマとオシリがないフレーズ。(´▽`*)

 

ってことで、#シスセ始めます。

 

まずはClubhouseでブレストから!!!

2021/2/21(土) 11:00-12:00でゆるっと考えるところからスタート♪

 

今の構想としては、Clubhouseで集まって15分くらい雑談してテーマを決めて、30分各々執筆、15分で何人かのアウトプットを発表(読み上げ)して、解散~。所要1時間のイメージ。
書き出したものを表に出したい人は、#シスセのハッシュタグ付けてブログやらTwitterやらに公開したらどうかしら、と。自分の中だけで完結させるのも、全然、あり。

って、感じでーす。

 

ふふふ、これだと、サボらずに書けるようになるかしら、ねーーーーー。

 

必要なタイミングで、必要な人に届く

何かを誰かに届けようとすると、ターゲットを決め、その対象に向かって、分かりやすく寄り添って言葉を紡ぎ出す、そんな事が必要だと思ってた。

具体的に、アピールポイントを押し付けがましくなく、チャーミングに届ける。

売り手目線ではなく、受け手の立場に立って。

 

届けたい相手を決めることは、きっと、何より大事なことだろう。

そして、何を届けたいかを心の中にハッキリと決めることも。

そうすれば、ぎこちない表現だったり、充分にアウトプットしきれていなくても、「表現しようとしている何か」に導かれて、人は集ってくるのかもしれない、そんな体験をした。

具体的なコトバそのものではなく、そのコトバが身にまとう、なにか。

 

作家・田口ランディさんのクリエイティブ・ライティング講座。

ems-sc003v6.mystrikingly.com

 

 

いや、待てよ。。。

あらためて、告知の内容をよく読み返してみた。

私にとって必要な情報が、充分に書かれていた。

「なんとなくよく分からない」講座だけれど受けてみよう・・・と思って受けたのだけれど、頭の表層では理解はできていなかったものの、なんだ、私の頭の奥底では理解できていたのか・・・。

 

直感的に良いと感じる、直感的に判断する、ことって、こういうことなのか、、、とフワリと感じ入る出来事。

 

 

言葉の解像度をあげる、受信力をあげる

何かを書きたい、表現したいという欲が芽生えたのは、小学生の頃だったと思う。なんとなくカッコイイと思ったから?鉛筆を取ってみても、自分の中から出てくるものは、特になかった。言葉が浮かばない。

想像力の問題か、創作能力がないということなのか、と思っていたけれど、今思い出すと日記の筆が進まなかったことがハッキリと頭に浮かぶ。今日一日を振り返るのに、「XXして楽しかった」「XXで悲しかった」「XXがムカつく」とか、とてもとてもザックリした一言しか出てこなくて、その裏にある細やかな感情だとか背景だとか、手触り感のある情景を何一つ書き出せない。当時は、筆が進まないことを、どう表現したら良いのかも分からず、今日も書くことは何もなかったな、の一言で済ませていた。

感動の少ない、感受性に乏しい子供だったのだろうか。

小学校6年生で引っ越しをすることになった時、友との別れにはあまり関心を持っていなかった。かといって、新しい環境にも興味がなかったわけでもない。いや、むしろ、新たな世界、誰も知らない世界、「転入生」になれることを楽しみにしていたように思う。うむ、ココロの動かない子供というよりかは、興味の方向性が違ったのか。

自分の感受性に疑いを持ったエピソードとしては、小学校の卒業式のことも。周囲のクラスメートが涙する姿を見ながら、なんでそうなるのか全く共感なし。6年生の5月に転校しての卒業だったので、友人関係が希薄だったからだろうか。その小学校への思い入れが少なかったからだろうか。当時、「ウソ泣き」という単語もよく聞かれたように思うけれど、なんだか冷めた目で、そんな風に見ていたように思う。自分が全く涙しないことに、多少の疑いも持ちながら。

毎日毎日、ものすごく膨大な量の情報に、目から鼻から耳から口から手足から、いや、全身で触れている。今こうやって自宅でPCに向かう一瞬を切り取っても、目に映る光景には赤いソファーの上に丸めて置いてある黄色い布団が目に止まり、昨晩飲んだままのマグカップが書類が散乱しているテーブルに置かれているのに気付き、外で車が走る音や雨音が聞こえ、部屋の中では冷蔵庫と空気清浄機のモーター音がチリチリと鳴り、沸かしたばかりの大豆茶の香りを感じる。

その一瞬を自分自身でどう捉え、消化していくのか。言語化できなくても、無意識レベルで何かしらストックされていくのではないか?なんて思ったりもしなくもないけれど、いや、しっかりと意識的に捉えて表現していくことが、私にとって欠けていて、鍛えていくことが必要なことなんじゃないか、と、すごく思う。

表現したい欲求だけが渦巻いていて、どうアウトプットしたらよいのか分からずにモヤモヤしてたものが、いま、あらためてハッキリしたんだなぁ。

まずは、受信力をあげる。細やかに受信できていなければ、アウトプットするのも難しい。丁寧に丁寧に、やってく。

2021年1月2日 事始め

コロナ禍における新しいお正月の過ごし方。

実家に帰らず、旅行もせず、1人で自宅で過ごす日が来るなんて。

31日は嵐のラストライブを楽しみ、1日は午前中早い時間に近所で初詣を済ませて、昼頃から御節と日本酒タイム。年末に買ったばかりのGoogleTV付のプロジェクタでネット番組をザッピング。YouTubeTverも大画面だと見やすいーーーーー。(*'▽')

2日には、見逃したAbemaTVの番組を興味深く見入っていた。新しい地図の3人と森くんの再会。森くんが日本一になるという約束を果たしたからこそ、実現した再会。

嵐は結成から21年で休止に入ったところだけれど、森くん脱退から20年以上経ったこのタイミングで、再び、ゴローちゃん、つよぽん、慎吾ちゃんと森くんが揃った姿を見れるだなんて、なんとも不思議なひととき。

中学生の頃、SMAPの大ファンで、コンサート行ったり、舞台行ったり、番組の公開録画観に行ったりしてたよなー、と思い出した。当時の思い出をそれぞれが語っていたけれど、「Anotherが…」とか、「聖闘士星矢が…」とかデビュー後まだ全然売れていないころのエピソードの数々が、本当に懐かしくてドキドキ。

慎吾ちゃんが、森くんとの話すスタンスが分からない…みたいなコメントしていたけれど、観ている方としても、なんとも不思議な時間が流れてた。ちょうど森くん脱退後くらいから、あまり熱心にSMAPを観ることも減っていっていて、久々に4人揃っている場面をみながら、自分自身がどんな風に向き合えば良いのかよく分からなくなっていた。きゃーきゃー言う感じでもないけれど、当時のこと思い出すと、なんともキュンキュンしてみたり。

京都会館のコンサート行ったなぁーーー。拓哉くんが未だキムタクと呼ばれる前のこと。なつかしいなーーーーー、とキュンキュン。

 

そういえば、木村拓哉がキムタクと命名されるようになったのって、いつからだっけ。KANのラジオ番組に出たときに、行きつけのバーでキムタクと呼ばれているって話していたのは覚えてるんだけど。なんか魚拓みたいじゃない?なんて言いながら、その後、あすなろ白書でブレイクする頃にはキムタクがすっかり定着したのも懐かしい。

 

さて、1月2日の事始め。

本当にどうでも良いこと書いてしまった感だけれど、こうやってツラツラと再びblogに向き合っていこうかな、と思う2021年。

とりあえず、自分メモ的な、雑感を綴ってみる。